BlackEyePatch

BlackEyePatch: Andrew Richardson
INTERVIEW

 

Richardsonの表現には常に
“挑発”が根底にある

Text: Ryo Tajima

Andrew Richardson(アンドリュー・リチャードソン)は1998年にアートとセックスにフォーカスした雑誌『Richardson Magazine』を立ち上げたクリエイター。『Richardson』のアパレルラインは『Richardson Hardware』の名義で展開されている。
SupremeやDover Street Market、Hysteric Glamour、WTAPSといったブランド/ショップとのコラボレーションなどで知っている人もいるだろう。
Andrew Richardson自身は、イギリス出身、現在はロンドンとNYを拠点に活動するファッションエディター、スタイリスト、アートディレクターだ。今回、BlackEyePatchとのコラボレーション実現に際し、Andrew Richardsonが、どのようなクリエイターであるのか。どんな考え方を持っている人物なのかをインタビュー。

ーーファッションやアートに興味を持ったのはなぜですか? 最初に好きになったブランドやアーティスト、デザイナーのことを教えてください。

「私は1980年代後半のロンドンで育ったのですが、当時からクラブに遊びに行っていて、リー・バウリー(Leigh Bowery)※ のような人たちに囲まれていたんです。その頃のロンドンで行われていた過激なパフォーマンスは自己表現そのものでしたね。皆、クラブで楽しむ時間より、どんなファッションでパーティに参加するかということに時間を費やしていました。その後、NYに移って、スティーブン・スプラウス(Stephen Sprouse)※ やスティーヴン・マイゼル(Steven Meisel)※ といった面々に出会い、彼らを通じて自分が好きなことを仕事にしていく方法を学びました。その集大成がマドンナ(Madonna)の写真集『SEX』※ です。この仕事を通じて、NYのセクシュアルなサブカルチャーの世界に触れました。当時のNYは、夢見れば何者にでもなれる街だったんです。そんなファンタジーのような世界が性的な境界領域で現実のものになっていくのを見ているのはすごく刺激的でした。そこにあった寛容さは、表現とクリエイティブに対する完全な自由を表していました。そこで感じたことが、後にファッションの仕事や『Richardson Magazine』へ影響を与えることに繋がっていったんです」。

ーー幼少期、そういったサブカルチャーに関する情報はどこから仕入れていましたか?

「雑誌『THE FACE』や『New Musical Express(NME)』といったニュースペーパーから得ていました。昔はそれぞれのサブカルチャーに特化した紙媒体があって、音楽やファッションをユースカルチャーの一部として組み込む役割を担っていたんですよ」。

ーー最初に、ファッションやアートに関する表現を行ったのは何歳頃、どんなことがきっかけでしたか? それによって、自分の中にどのような変化が生まれましたか?

「6、7歳の頃だったと思うんですが、テレビで『 ジギー・スターダスト(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)』※ をリリースした頃のデヴィッド・ボウイ(David Bowie)のインタビューを観たのが印象に残っています。彼は70年代初頭に、イギリスの若者たちへ、世界には自由な生き方があるということを示してくれていました。そんなデヴィッド・ボウイの姿勢に強く心を動かされたんです。教育にお金をかけて良い学歴を得ることさえできれば、社会的にも経済的にも高い地位が得られると言われていた時代でしたけど、私はそんなことにまったく興味が湧きませんでした。デヴィッド・ボウイのような人に出会ったことで、人生にはもっと大切なものや考え方があるのではないか、ということに気づかされたんです。まぁ、彼の名前を知るのは、それから数年後のことなんですけどね」。

ーー自分のルーツにあり、今も好きなサブカルチャーは何ですか?

「10代をイギリスで過ごした私にとって音楽カルチャーがすべてでした。早い段階からモッズのカッコよさに触れ、次第にパンク、ポストパンクへと興味が広がっていきました。特にジョイ・ディヴィジョン(JOY DIVISION)には強く惹かれました。その精神性は、ユースカルチャーへの向き合い方や、どのようにファッションで自己表現をしていくかといった考え方の根本に影響を与えたと思います」。

※日本に旗艦店がオープンすることを記念したSupremeとの東京限定コラボTシャツ。A2に掲載されたマリオ・ソレンティによるアートワーク“Unconditional”をフィーチャーしている。@richardsonworld(Instagram)より。

 

ーーAndrewさんの仕事について教えてください。スタイリスト、エディター、デザイナー、アートディレクターとして知られていますが、どのようにキャリアをスタートさせたのですか?

「学生の頃、勉強には全然興味が持てなかったので、自分でワクワクするものを探すしかありませんでした。その探究心が私をファッションの世界へ導いてくれたんです。ファッションの世界はロンドンのクラブシーンと密接で実に刺激的でした。その後、NYでスティーヴン・マイゼル以外にも、グレン・ルックフォード(Glen Luchford)※、デイビット・シムズ(David Sims)※、テリー・リチャードソン(Terry Richardson)※、マリオ・ソレンティ(Mario Sorrenti)※といったクリエイターたちと出会いました。90年代、私は彼らと共にファッションカルチャーの歴史へのリスペクトを持ちながら、独自のビジュアル表現を創り上げていったんです。当時はインターネットがなかったので、口コミに頼って情報を得ていたんですが、そんな時代だったからこそ、同じ感性を持つ人と繋がることができたのだと思います。リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)※のようなクリエイターと共に時間を過ごして、今でも忘れられないような話を聞くことができたり。そのプロセスすべてが、私にとってすごく有意義なことだったんです」。

ーースティーヴン・マイゼル氏ですが、アンドリューさんは師事されていた時期があるそうですね。なぜ、スティーヴン・マイゼル氏のもとで働いていたんですか? どんなことを学びましたか?

「NYに移住したのは22、23歳のことだったんですけど、スティーヴン・マイゼルの大ファンだったので、もともと彼のことを知っていたんです。ある時、彼のもとで働いていたスタイリストと一緒に仕事をする機会があって繋がることができたんです。その後、彼と共に大勢のファッションエディターと仕事をしながら、単純にイメージを作る方法だけではなく、自分が興味のある世界をどう構築して仕事に反映させていけばいいのかを学びました。スティーヴンは他と差を付けるには、強い個人的視点が必要だと気づかせてくれました。ファッションビジネスの仕組みを理解して実践するのではなく、自分が本当に好きなことを体現する方が充実感があって力強いのだという考え方を学んだんです」。

ーーキャリアを積み重ねて仕事をしていくうちに、どのような自己表現をしたいと考えるようになりましたか? また、そう考えるようになったきっかけの出来事はなんですか?

「最初に言ったことと被りますが、やはりマドンナの写真集『SEX』の制作に最初から最後まで関わることができた経験が大きいです。このプロジェクトを経たことで、パンクやニューロマンティックの精神性と密接な仕事へ繋がっていきました。その仕事で生み出す作品が注目されるように、私は『SEX』での挑発的な表現を活用しました。その後の仕事においても、私は挑発的な表現を多用してきたのですが、その理由はキャリアの初期段階で、その威力を実感したからなんです」。

ーー『Richardson Magazine』が創刊したのは1998年です。なぜ、こういった雑誌を始めようと思ったんですか?

「『Richardson Magazine』はアートとセックスにフォーカスした雑誌ですが、私がファッションの仕事をしていた関係から多くのファッションフォトグラファーが参加しています。このメディアを立ち上げられたのは、『DUNE』の編集長だった林文浩さんが私の同僚たちと頻繁に仕事をしてくれたおかげなんですよ。私が長年かけて作り続けていたスクラップブックを見た文浩さんが、ある日、「ポルノをテーマにした出版物を作らないか」と声をかけてくれたのが始まりなんです。雑誌を始めた頃、私は、これが新たな『PLAYBOY』になると信じていました。結果的にそうならなかったんですけど、あの時に思い描いた夢が原動力になったんです」。

ーー『DUNE』の編集長、林文浩さんとエピソードについて教えてください。

「チャーリー・ブラウンの愛称で親しまれる林文浩さんですが、NYでは他媒体が扱えないほど挑発的な作品を雑誌に掲載する人でした。例えば、『THE FACE』のような雑誌に記事を提出して、編集部に過激過ぎるという理由で却下されたとしても、文浩さんは掲載してくれました。そうやって、彼はオープンで挑発的な場所を構築し、NYで起こってたリアルを映し出すような空間を形作っていました」。

※2023年にDomicile Tokyoで開催されたポップアップ時のフライヤービジュアル。この時点で刊行されていたA-1からA-10までのアートワークとエディトリアルも展示された。ビジュアルに使用されている元写真はA-1(1号目)の表紙。@richardsonworld(Instagram)より。

 

ーー創刊した1998年という年代は重要ですか? 当時のNYファッションシーンやストリートはどのような状況だったと思いますか?

「90年代は制約が少なくて今とは比べものにならないほど開放的な時代でした。インターネットからの膨大な情報にさらされなかったからこそ、より活気に満ちていたのだと思います。誰もが映画からインスピレーションを得て、書籍が刊行されており、今よりも明確にカルチャーが作用しあっていたと思います。あの頃は、大きな楽観主義に満ちていた時代で、同世代のクリエイターの多くがジャンルの境界線を超えて、さまざまなものをミックスさせながら活動していました。例えば、ファッションフォトグラファーがアートギャラリーで展示をしたり、映画の世界へ進出したり。私たちは実験を繰り返しながら自己表現を模索し、あらゆる可能性を探っていたんです」。

ーー『Richardson Magazine』を創刊させるにあたって、参考にしたメディアやアートは何ですか?

「私が刺激を受けてきたものを雑誌に掲載しているので、読んでもらえればわかると思います。例えば、リチャード・プリンス(Richard Prince)※ のようなアーティストにコンタクトを取って、作品の掲載許可を取れるほどの人脈が自分にあったのは幸運でしたね。雑誌を作ろうと考える前の、1993年頃だったと思うのですが、ホイットニー美術館で、彼の作品『Spiritual America』を目のあたりにした時、その生々しさには強い衝撃を受けたんです。あと、テリー・リチャードソンやマリオ・ソレンティといった同僚との仕事を続ける中でも、さまざまな芸術作品やサブカルチャーに触れる機会があり、それらの経験から得るものは実に大きかったです」。

ーー『Richardson Magazine』のルーツにはあるのは、どんな媒体やカルチャーですか?

「ルーツとして真っ先に思い浮かぶのが1970年代の雑誌『Frigidaire』ですね。ローマに行った時、友人の兄が集めていて、そこで初めて目にしたのを覚えています。私は19歳でイタリア語は読めなかったのですが、雑誌をめくりながら、マフィアの抗争、ポルノスター、バイオレンスな漫画、ナショナル ジオグラフィック風の暴露記事、それらすべてが1つに凝縮されており、これほど刺激的なコンテンツの集合体はない、と思いました。『Frigidaire』には左派的な思想がありましたけど、必ずしも政治に限定した記事だけではなく、体験を包括的に探求することに重点を置いていました。アートの側面においても制限なく自由に表現し、商業的な成功を目的とすることなく、読者を挑発して対話を生み出すことを目的としていました。その姿勢にインスパイアを受けたんです」。

※これまでに刊行されてきた『Richardson Magazine』のカバーアートワーク例。実際の雑誌にはモザイク処理は施されていない。https://jp.richardsonshop.com/(HP)より。

 

ーー『Richardson Magazine』がスタートしてから25年以上が経ちます。 創刊した頃と現在で、変わったことと変わらないことを教えてください。

「インターネットが普及してからも、私たちは雑誌の本質的な価値観を貫こうと努めてきたのですが、『Richardson Magazine』は時代を反映するメディアでもあります。インターネットやSNSによって、私たちの文化的道徳観や価値観、優先順位は急速に変化しました。セックスやセクシュアリティについて挑発的な雑誌を作るのならば、そういった社会的変化を無視することはできないので、時代に合わせて変わらなくてはならない。でも、同時に、ある意味で時代とは距離感を保たなくてはいけないんです。妥協したり流されたりする衝動と戦い続けなければ、結局は何も残らないですから」。

ーーそれほど長い間、続けることができたのはなぜですか? どのようにモチベーションをキープしてきたのかについて教えてください。

「たしかに創刊から長い年月が経ちましたけど、実際に制作した雑誌の冊数はそれほど多くないんですよ。27年の活動で、今回が12冊目です。時間をかけて掲載する人やコンテンツを選定してきました。自ら外へ出て面白いものを探すのと同じくらい、周囲の環境から吸収するのも大切なプロセスなんです」。

※架空の金物店を意図した『Richardson Hardware』のグラフィックと、ブランドを象徴するRのサークルロゴ @richardsonworld(Instagram)より。

 

ーーブランドは『Richardson Magazine』の世界観をアパレルで表現しているものですか? 改めて、どんな『Richardson Hardware』がどんなブランドなのか教えてください。

「『Richardson』のアパレルは『Richardson Magazine』と『Supreme』の2つがあったからこそ生まれたものなんです。『Supreme』はいつも雑誌に広告を出していたので、その流れからコラボレーションしTシャツを制作したことがありました。そのことがブランドを始めるきっかけになったんです。まずは雑誌のグラフィックをプリントしたTシャツから始まり、徐々に雑誌とは直接的に関与しない世界観を構築していきました。そこには私や一緒に運営するメンバーの好きなことを落とし込んでいて、グラフィックだけではなく、パターンから製造するようになり、完全なファッションカンパニーへ成長していったんです。

現在、『Richardson Magazine』はブランドから切り離し、アパレルは『Richardson Hardware』としてリリースしています。雑誌に関連するTシャツなどのウエアは限定で展開し続けますが、2025年の現代において、セックスをテーマにした雑誌を展開し続けるのはビジネス的にも難しい部分があるんですよ。メディアが成長して一定の大きな規模感に達すると、自らを分解・再構築させて不要なものを排出しなくてはいけないわけです。その作業は慎重に行わなくてはいけませんね。

『Richardson Hardware』は、シンプルなTシャツを作りたいという思いと、祖父が建設業を営んでいたことから、長年考えていた“架空の金物店”を作りたいという発想が結びついて生まれたものです。作ったTシャツは一気に人気を集め、そのグラフィックはNYのダウンタウンでカルト的な存在になり、特別な価値を持つようになりました。それ以来、私たちはスタンスを変えず、独自のスタイルを確立していきました。洋服のバリエーションに微妙な変更を入れたり、たまにグラフィックをアレンジしたりさせながら、『Richardson Hardware』の美学を発展させていったんです。そして、今では、私たちのファッション観を拡大させるブランドに成長したと思っています」。

ーーブランドの根底にあるのはどのようなカルチャーや考え方ですか?

「『Richardson』の根底にあるのは常に“挑発”です。『Richardson Hardware』における挑発は、セックスではなく、アナーキズムや抵抗を意味します。現代では、もはや誰も体制や政治を信用しておらず、その様子は70年代にパンクが生まれた時の世相と重なります。『Richardson Hardware』は、そんな反体制的な視点や、ユースの反逆精神からインスパイアを受けているんです」。

ーー最後に『Richardson Magazine』や『Richardson Hardware』を振り返って思うことを教えてください。

「『Richardson Magazine』と、ブランド『Richardson Hardware』の両方を自分のプロジェクトとして手掛けることができたのは本当に幸運なことでした。学ぶことが多く、同時に大きな責任がつきまといますが、自分のやりたいことを実現できて、それを評価して、共に歩んでくれる人々がいることはかけがえのないことです。雑誌もブランドも、権威に対する健康で優良な反骨精神を持ち、リアルな存在へのリスペクトを持ちながら、今後も進むことができればと考えています」。

-注釈-

※リー・バウリー(Leigh Bowery):1961年〜1994年。オーストラリア出身、ロンドンで活動したアーティスト、ファッションデザイナー、パフォーマー。ボディアートなどを用いて過激かつ実験的なビジュアルを表現していた。

※スティーブン・スプラウス(Stephen Sprouse):1953年〜2004年。アメリカを代表するファッションデザイナー、アーティスト。1980〜90年代のファッションに、ストリートの感性や、アート、音楽(パンク)などのサブカルチャーを取り入れた。

※スティーヴン・マイゼル(Steven Meisel):1954年生まれ。ファッションデザイナー、イラストレーターとして活動を開始。その後にフォトグラファーへ。『VOGUE』などのファッション誌での仕事や『カルバン・クライン』、『プラダ』といったブランドの広告も手掛けている。マドンナの「Like a Virgin」や写真集『SEX』の撮影も手掛けた。

※マドンナ(Madonna)の写真集『SEX』:1992年に発売されたポップカルチャー史上もっとも衝撃的で挑発的なアートブックの1つ。アートディレクションはファッション界の鬼才と呼ばれたファビアン・バロン(Fabien Baron)が担当。Andrew Richardsonはアシスタントとして制作に参加した。

※『ジギー・スターダスト(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)』:1972年に発表されたデヴィッド・ボウイの5作目のアルバム。

※グレン・ルックフォード(Glen Luchford):1968年生まれ。イギリス出身のフォトグラファー、映画監督。若くしてファッションカルチャー誌『THE FACE』で活動。プラダやグッチなどのハイブランドと協業しながら、ストリートの感性をファッションへ持ち込んだ。

※デイビット・シムズ(David Sims):1966年生まれ。イギリス出身のファッション・フォトグラファー。現在のファッションシーンに大きな影響を与えるクリエイターの1人。数々のファッション誌、ハイブランドと協業を果たす。

※テリー・リチャードソン(Terry Richardson):1965年生まれ。NY出身のファッション、ポートレート写真家。ヌードなどのセクシュアルな表現も多く、Supremeをはじめ、数々のハイブランドやファッション誌で撮影を行う。

※マリオ・ソレンティ(Mario Sorrenti):1971年生まれ。イタリア出身のファッション・フォトグラファー、ディレクター。ケイト・モスのポートフォリオを収めた『Kate』(2018年)など、ファッションとアートシーンを行き来する。

※リチャード・アヴェドン(Richard Avedon):1923年〜2004年。NY出身の写真家。ファッション、アート両方の世界で大きく成功を収めた。NYでもっとも長い歴史を持つ女性ファッション雑誌『Harper's BAZAAR』や『VOGUE』などでの撮影からアートまで幅広く活動した。

※リチャード・プリンス(Richard Prince):1949年生まれ。アメリカのコンセプチュアル・アーティスト、ポップ・アーティスト。再撮影した広告やリプロダクションの写真作品など、挑発的な作品も多い。インタビューにあるNYのホイットニー美術館での展示は1992年に開催。

RICHARDSON HWC VARSITY JACKET
¥58,300
RICHARDSON HWC CREW SWEAT
¥19,800
RICHARDSON BEP HARDWARE TEE
¥8,800
RICHARDSON BEANIE
¥8,800
RICHARDSON SOCKS
¥3,300


<INFORMATION>

BlackEyePatch HARAJUKU

東京都渋谷区神宮前 3-21-20
03-6416-9817
11:00 - 20:00

BlackEyePatch OSAKA

大阪府大阪市中央区西心斎橋 1-6-17
06-4708-8828
11:00 - 20:00

BlackEyePatch NAGOYA

愛知県名古屋市中区栄3-29-1 パルコ西館1F
10:00 - 21:00

古い投稿
新しい投稿
クローズ

Popup

Use this popup to embed a mailing list sign up form. Alternatively use it as a simple call to action with a link to a product or a page.

Age verification

By clicking enter you are verifying that you are old enough to consume alcohol.

検索する

ショッピングカート

x