私と世界を繋ぐ何か:
Aya Brown インタビュー

BlackEyePatchがリリースしたzine『stacks Issue 01』にもドローイングを提供していた、ブルックリン在住のアーティストであるAya Brown。
日本人の母を持ち、NYのブラックカルチャーの中で生まれ育った彼女。
もちろん、NY出身だからといって、それがイコールでHip Hopカルチャーにどっぷりという訳ではないだろうが、Aya Brownはカルチャー濃度の高い両親のもとで、Hip Hop、ブラックカルチャーと共に成長してきた。
そして現在、彼女の創作するアートピースは、コアな雰囲気をまといながらもどこかにファニーさを感じさせる形で進化を遂げている。
彼女のクリエイションを育んだバックグラウンドについて話を聞いた。

photo: Zora Sicher / text: Maruro Yamashita

ー先ずは自己紹介をお願いします。

「私の名前はアヤ・シルク・ブラウン。95年にNYのブルックリンで生まれた22歳よ」

ーホームタウンはどこで、どんな街なんですか?

「私はブルックリンのベッドスタイとパークスロープで育ったの。パークスロープはクールなエリアで、金持ちの白人が沢山住んでいるような町で、金持ちじゃない人でも、なんだか皆がやって来るようなところよ。 けど、私みたいな人はいなかったし、皆私のことを睨みつけるように見ていたわ。ベッドスタイは全然違って、きっとそんなに安全なエリアでもなかったの。 けど、私はベッドスタイの方が好きだった。私みたいな人を目にすることが出来たし、より簡単に自分らしくいられて、心地良かったから」

ー絵を描くようになったのはいつですか?また、何が切っ掛けだったんですか?

「アートを作り始めたのは、とても小さい頃よ。皆が私の描いたものを真似するから、自分には特別な才能があるって分かったの。 けど、私の一番年上のいとこが、私がまだ凄く小さかったときに、グラフィティを描くことを教えてくれたの。それは私にとって、すぐさまアイデンティティーのようなものになったわ。まだ私はとても幼かったけどね」

ーノートに描くだけじゃなく、実際に外でも描いていたんですか?

「そうよ。屋根に登ったりしてね!もちろんノートにも描いていたけど」

ーあなたの幼少期の話を聞かせてください。どんなことに興味を持っていたんですか?

「私の幼少時代っていうのはとても短かったの。バービー人形で遊んだりするのはすぐにやめて、外に出て花火をしたり、ガラスのボトルを投げたり、そういう悪ガキにすぐになってしまったから。 NYで育つっていうことは、とても小さい時から、そういう悪い影響にさらされるようなことだと思うの。一緒に育った友達の大多数は、皆私よりだいぶ年上だったわ。私が9歳の頃に彼らは16歳とか。 スニーカーや洋服にも夢中だったわ、私のパパがとてもハイプビーストだったから。私がスケートボードをよくやっていた頃、パパにSupremeに連れて行かれて、デッキのコンプリートを組んでもらったのを覚えているわ。 Supremeっていうのがどういうものか分かっていなかったけど、スケボーを直してもらいたいときはいつもSupremeのお店に行ってたの」

ー若い頃、あなたはどんなカルチャーに興味を持っていましたか?

「勿論、ブラックカルチャーが私に与えた影響のほとんどよ。アメリカにいる黒人の歴史は、何も無いところから何かを作ることを強いられてきたものだと思うの。 それが黒人をとてもクリエイティブなマザファッカーにしたのよ。勿論、それは私のカルチャーだし、私のフェイバリットなカルチャーだし、他の何かを選ぶことなんて出来ないわ。NATION TIME! NATION TIME!」

ーあなたはHip Hopカルチャーにとても入れ込んでいますよね? それは何故なんでしょうか?

「私はHip Hopというワードを慎重に使うことにしてるの。Hip Hopっていうワードは時には、あなたが何かをすることや、どのように何かをするのかっていうような、動詞のようなものだと思うの。 元々あるモノを持ち出して、フリップしたり、裏返しにしたりして、それを自分のモノかのように提唱するのが、私にとってのHip Hopなの。Hip Hopっていうのは今も昔もブラックカルチャーの一つだしね。 けど、多分これは全てはパパから始まってると思うわ。パパは昔、プロデューサーでDJをやっていたの。パパはまだDJをやってるし、きっとこっそり音楽も作ってるはずよ。 パパは、私が赤ん坊の頃に、私たちの家にMissy ElliotやLauryn Hillがしょっちゅう来ていた頃の話をよくしてくれたわ。つまり、そういう全てのエナジーが子供の頃から周りにあったっていうことよ。 少し大人になってから、パパには余り会わなくなったけど、パパは私に沢山のスニーカーをくれたの。だから家にはもう靴の置き場が無いんだけど、それはなかなか捨てられないわ」

ーフェイバリットアーティストは誰ですか?

「いわゆるフェイバリットアーティストっていうのはいないの。けど、David Hammonsは好きよ。Chaka KhanやSpike Lee、Mary J. Bligeに私の祖父母もね」

ー特定の誰かから影響を受けたりはしてますか?

「友人や家族そして恋人からいつも影響を受けてるわ。彼らと一緒に見たものや、彼らが私に聞かせてくれるストーリーから。 私は人に質問するのが好きだし、それに対して答えてくれているのを聞くのも好きなの。私は、その人がこれまでに聞かれたことが無かったような質問をするのが好きなの。 それは人によって常に異なるんだけど」

ー日本には来たことありますか?あなたのお母さんは日本人ですよね。日本の習慣で身に付いているものはありますか?

「私は日本人よ。お母さんは東京の大森出身なの。13歳までは毎年日本に行ってたわ。フライト代も高いから、最近はしばらく行ってないけど。 私のおばちゃんはとてもトラディショナルな日本の家に住んでいるの。引き戸があって、ベッドも無くて、布団で寝るの。毎朝起きるとご先祖さまにお祈りしていたのを覚えてるわ。 毎回日本に行くと、曾祖父母のお墓に墓参りに行って、お墓を綺麗にして、お茶や食べ物をお供え物にしたわ。おじちゃんの為にはビールをね。納豆も大好きよ! そうね、だから私は日本人よ。日本語は喋れないけど。ママは私に日本語を教えなかったけど。私が子供の頃、ママは沢山仕事してたから、きっと教える時間がなかったんじゃないかしら」

ーあなたの過去の作品について伺わせてください。何か印象に残っているものはありますか?

「今日のこの背景になっている絵はとても気に入っているわ。エアブラシガンを使って描いたの。 私の家族や友達の家族がこの背景の前で撮った昔の写真を沢山見たわ。この場所は皆が自分たちを記録する様なスペースになったの。 最高よ。皆の為のスペースを作るのはとても好きなの」

ー最近興味があることはなんですか?

「最近はこういう小さなスカルプチャーをポリマー粘土で作るのにとてもハマってるわ。私の描いたドローイングを、こういう小さなスカルプチャーに落とし込むの。 私を世界と繋いでくれる様な何かを見つけて、それをドローイングというメソッドで表現したりね。 今は、自分が見たいやり方や、こうやってみたいと思うようなやり方に、自分のクリエイションを押し戻しているところなんだと思う」

ー最後に、今後のプランを教えてください。

「映画を作ってみたいわ!やりたことは沢山あるの!これからも私に注目してちょうだい。一緒に何かを見つけ出しましょう!」

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